最後に・・・・

 3月31日をもって校長としての役職を終えます。

 

 船にたとえると、高校の教員として乗船し、10年間の航海ののち、

一度下船し、中学校の船に再乗船。(緑が丘中学校)

 

 当時の私は、色々な先輩方に怒られ、それでも自分のやりたいこ

とをやりたいようにやってきました。(やんちゃだった30代・・・)

 この間、たくさんの仲間と先輩方に支えられてきたことに感謝し

ています。

 緑中での1年目、好きかってやっていた私をある先輩が、「あいつは

中学校に慣れれば、大丈夫だから・・・」と陰でフォローしてくれて

いたことを後から聞いて涙したこともありました。

 

 2年目以降、ソフトテニス部を全道、全国大会へ出場させること

ができ、現在、教え子たちが教師としてテニスを指導していることは

数少ない私の自慢です。

 

 7年目、北海道算数数学研究大会旭川大会で、授業をさせていただ

いたことが私を大きく成長させてくれました。

 8年がたち、広陵中へ異動し、「全道テニス乘組員」と歓迎会で紹介

されたときの衝撃は、今でも覚えています。(俺はテニス要員なのか・・)

 

 そして、自分一人で関われる子どもの数に限界を感じ、「校長になれ

ば、すべての子どもの担任になれる」という想いからから管理職を目指

しました。

 しかし、教頭として乗船した学校は、北海道で一番小さな村でした。

 

 最初の飲み会の時に、教育委員さんの一人から「お前、この村のために

何ができるんだ?」と声をかけられ、何も答えることができない自分がい

ました・・・・

 

 村を去るとき、この方から「3年間、頑張ったな!」と声をかけられたと

き、思わず涙が流れてしまいました。

 

 様々な場面で身近に村長さんや教育長さんとお話ができる環境に、感動

を覚え、地域とともにある学校の姿を学ぶことができました。

 小学校の教頭先生は、100周年記念行事に携わるため、教頭1年目の

私が小中を併置させるため、小中学校の先生方と膝をつきあわせ、どのよ

うな形で学校を動かしていくのかということを考えてきた日々はとても大変

でしたが、充実してました。

 そして、初めて複式で小学校の教頭先生と向かい合わせで算数の授業を

することができたことで、算数数学の系統性の大切さを学ぶことができま

した。(このとき、はじめて算数数学の系統表を作りました)

 

 地域に一件しかない居酒屋のご主人と奥様には本当にお世話になりました。

大けがをした年の春、「お前、この村に指、置いていくんだなぁ・・・」と声を

かけられ、その心遣いに胸が熱くなりました。

 ここでの経験は、今の私を支えているとっても大切な宝物です。

 

 旭川で教頭として乗船した学校は、地域の方々とのつながりが深く、

地域すべてのご家庭を訪問したことも良い思い出です。

 学校用務員さんが、とってもご高齢で、私の母と同じ名前だったこ

ともあり、とても親近感がありました。

 この方と一緒に屋根に上ったり、おいしい料理やお菓子をごちそう

してもらったり・・・

 給食のおばさんから、ネコをいただいたり・・・(今も元気です!)

 お寺の住職さんと奥様からもいつも温かいお言葉をいただきました。

水生生物研究や、ウチダザリガニの駆除活動も勉強になりました・・・

 あかりちゃん、元気かな・・・・

 くるまやさんの経営するラーメンがとてもおいしかった・・・

とっても太っ腹な、すてきな社長さんでした。

 

 やがて、春光台中学校ではじめて船長となりましたが、その年、胆振

東部地震が起こり、市内全域での停電の中での校長としての対応・・・

そして、新型コロナ・・・

 あの中で、「子どもたち、保護者のためにどのように卒業式をやろうか」

と教頭先生と頭を悩ませたとき、私の背中を押してくれたのが、当時のP

TA本部役員の皆様でした。

 様々な場面で共に行動することができ、私を校長として一人前にしてい

ただいたと思っています。

 最後の年、子どもたちからもらった色紙、PTAの皆様のサプライズ、

今でも私の部屋に飾っています。

 三浦綾子さんに関わる活動や学校運営協議会の活動まで、いつも春中の

ために尽力いただ商工会会長様、本当にお世話になりました。

 

 3年後、広陵中学校へ出戻りました。

旭川で新型コロナ感染症が最も流行した年に全国中体連ソフトテニス

大会実行委員長を仰せつかり、大会参加の大きな判断を迫られたとき、

「自分の判断でソフトテニスの大会からクラスターが発生したら・・・」

と思うと、ほんとに辛かった・・・

 そして、翌年、北海道算数数学教育研究大会旭川大会の実行委員長

として、冷や汗をかきながら大雪アリーナであいさつをしました。

 このとき、授業を公開していただいた先生方、研究発表をしていた

だいた先生方には感謝です。

 特に、広陵中の数学の先生方のチームワークは最高でした!

ピラミッドの授業、よく頑張ったね。

 どの先生がたも素晴らしい授業を公開していただきました。

 ちょっとは、相馬先生に恩返しができたかな?

 

 校長最後の学校として、ここ緑が丘中学校へ出戻りました。

この2年間は、リーディングDX事業の推進、校内教育支援センター

開設、コロナ禍での経験を活かした新しい形での体育大会、学校祭等

充実した日々を送ることができました。

 先生方共に、新しい取組を仕組んでいくことがとても楽しかったし、

先生方の姿がともても頼もしかった。

 また、ここでもPTAの皆様は、学校の応援団でした。合い言葉は

「子どもたちのために・・・」

正門の修繕、3階特活室の床の張り換え、学校祭、体育大会を含め、

様々な活動のお手伝い、Tシャツ、ポロシャツ販売などあげれば、

きりがありません。

 本当にありがとうございました。

 

私が校長として、一番忘れられないのは、

春中、広陵中、そして、緑中で出会ったすべての子どもたち

 彼らからいただいたたくさんの笑顔は常に私のパワーの

源でした。

 本当にありがとう。

 

 そして、今年、いただいたお手紙に、「校長先生のお話を聞く

ことが楽しみでした」ということが書かれていました・・・

「校長のお話は、先生方の授業と同じだから・・・」と先輩校長

からご指導いただきました。

 「先生方は、50分、校長は10分程度で勝負する!」

と教えられました。

 8年間、常に心がけてきました。

生徒からいただいたたくさんのコメントは、私の思いの集大成!

 「8年間、大事にしてきて良かった」と心から思います。

 

 君たちの今後の活躍を心から願いいています。

 

もう思い残すことはありません!

 

 

 私は、3月31日をもって一度船から下船します。

今は無事航海を終え、下船することができ、充実感と達成感を感じてい

ます。

 

 至らぬところがたくさんありましたが、「知恵と勇気と優しさ」を

合い言葉に突き進んできた私を温かくご指導・ご鞭撻いただき、支えて

いただいたすべての皆様に感謝申し上げます。

 

 本当にありがとうございました。そして、お世話になりました。

 

 

 4月からは、自分の原点に立ち返り、数学とテニスを通してゆっくり

と先生という仕事を楽しもうと思います。

 

 先が見えない時代ですが、どうか皆様もご自愛下さい。

 

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